「気持ちよく騙されたい」と思った時に読みたい本

感想文

ババヤガの夜
王谷 昌[著]

矛盾の快感

読者の期待と予想を超える優れたミステリ小説には「騙されたけど爽快!!」という矛盾した読後感を抱くものです。

王谷 昌(おうたに あきら)先生の「ババガヤの夜」もそんな矛盾した快感を読者にもたらす名作であり「日本人で初めて英国推理作家協会主催 ダガー賞受賞作」の宣伝文句に恥じぬ内容でした。

一部の隙もない緻密な構成の中で繰り広げられる、暴力と絆の物語。

この矛盾の楽しさの魅力をご紹介します。

シームレスな伏線

私がこの本を読んだ後も、特に強く残り続ける2つの感想があります。
その一つが「物凄くシームレスに騙された!!」です。

(注:ここからのミステリ談義は、すべて私の独断と偏見によるものです。)

ミステリとは無駄な描写の少ないジャンルです。
出てくる全ての情報は結末に向けて必要不可欠で、意味があることが望ましいとされています。
(と思っています。)

そんなミステリの場合、作中に出てくる構成要素を大まかに二分すると「謎用の要素」と「人物描写用の要素」に分かれます。(と思っています。)

「謎用の要素」は犯人やトリックのヒント、読者を騙す構成や伏線などの「謎を構成するために必要な要素」です。

色々読んでいると「作者はここに注目して欲しいんだろうなぁ」と伏線が浮き上がって見える作品に出合うことがあります。
そういった作品のラストは、たとえ自分で全貌が見えていなくても「やっぱり!」と感じてしまい、お得感が薄れたような、ちょっとだけ損をしたような気分になるのです。

しかしこの「ババヤガの夜」。伏線の貼り方が非常になめらかです。

王谷先生が張った作中最大の伏線が明かされる時まで、その話がそうだったとは全く気づきませんでした。

また、そこに行きつくまでは余りミステリぽくない、「バイオレンスアクション多めのエンタメ小説」の風情をしているので、伏線の解明から怒涛の勢いで物語が進んでいくように感じます。

一切の無駄も違和感も無い、一気読み必至・二度読み必至・ストレスフリーな三拍子揃った作品なのです。

対極のダブルヒロイン

さて、「人物描写用の要素」のお話です。
これは「作品に深みを持たせるための、魅力的な登場人物を描写するのに必要な要素」です。

それを踏まえたうえでの2つ目の感想は、「暴力シーンが多いのに、読後感が爽やか」です。

ひとえに登場人物たちが魅力的であるのが要因なのですが、そのための「人物描写用の要素」もまた一切の無駄がありません。

主人公の新道 依子は天稟の喧嘩の才能を持つ女性です。
初手からズタボロでヤクザの拠点に運ばれる描写から物語が始まるので「一体この人何をしたんだ!」と思ったのは当然のことでしょう。

岩のように逞しく、下っ端では束になっても敵わない依子。
その凶暴性を前面に押し出すような描写が続きますが、組員がけしかけた犬には威嚇だけに止め、またその犬の命のためにヤクザの軍門に下る慈悲深さも併せ持ちます。

展開が早くて目が回る気分でしたが、最初に恐ろしい天稟と優しさの描写をしたことで、ラストまでの依子の行動に一貫性と説得力を与えています。

そんな依子は組長の娘である大学生の内樹 尚子のボディーガードに任命されます。
強靭な依子に比べ、尚子は美しいお人形のような、けれど少し高飛車な女の子です。

この尚子が大学やお稽古事に行くときの運転手を依子が兼任するのですが、その中で尚子が不本意に抑圧されており、また信頼できる人もいない環境にあると分かってきます。

そんな日常から少しだけ尚子を連れ出し、喫茶店で身の上話をする依子。

尚子の世界が少しずつ広がり、依子に対する信頼が芽生えていく繊細で美しいシーンです。

こういった人物描写が必要十分に、また丁寧に描かれており、いらないと思えるシーンが一つもありません。
依子と尚子以外の人物のちょっとした描写も、物語の後半で活きてきたり、伏線になっていたりして全く無駄がありません。

そんな風に描かれる依子と尚子の友情とも親愛とも表現できない絆。
依子は作中一貫して尚子の味方であり、尚子もまた依子に信頼を深めていきます。

対局な二人の清新な関係を中心に据えることで、血生臭く残酷なシーンの間に挟まれる二人のやり取りが爽やかに際立ちます。

二面性の魔女

ババヤガ(バーバ・ヤーガ)とはスラヴ 民話に登場する魔女です。
良い面と悪い面を併せ持ったキャラクターとして描かれ、その二面性は依子に通じます。  

凶暴で一本気な依子と、新しい出会いによって世界が開けていく尚子。
この二人が進んでいく未来に安心と希望を見たくなりますが、物語に困難はつきものです。

この先二人に待ち受けているものとその結末に関しては、ぜひあなたの目でご覧ください。

では。

コメント

タイトルとURLをコピーしました